この様な話を伺いました。

あるお寺のご住職はご門徒さんが参るたびに阿弥陀如来のお慈悲の話をされていたそうです。

浄土真宗のお寺をお預かりしているご住職ですから当然のことです。

そこへご門徒さんの一人がご住職にこのようなことを告げました。

「ご住職さんは毎回のように阿弥陀様のことを話してくださるけれども、ちっともわけがわからない。もう少しわかり易い話をして欲しい」

すると、ご住職は

「わかりやすい話はどのようなお話ですか?」

と、尋ねます。

すると、このご門徒さんは

「先日聞いたお話は非常にわかりやすかった。ご住職にもこんな話をして欲しい」

と言い、一枚の紙を取り出しました。
気はながく

ご住職もこんな話をして欲しいと仰るご門徒さんのメモには「気・腹・心・人・己」の字が書かれています。

このご門徒さんはどのようなお話を聞いて来たかと言うと、「気は長く持ち、腹は立てずに、心はまるく、人は大きく、己は小さく」という趣旨の話であったそうです。

そのご門徒さんの話を聞いたご住職は、「あなたはその年になるまでそんなことも知らなかったのですか?」と尋ねたそうです。

「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく。」とは、大仙院の住職、尾関宗園氏の名言として広く知られております。http://za-yu.com/2008/04/post_2934.html
しかし、このご住職が仰るように、「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく」ということが心豊かに生きるうえで必要であるということは小さい子どもでもわかる話です。

親鸞聖人の尊敬された中国の僧侶である善導大師の

もし解を学せんと欲せば、凡より聖者に至り、すなはち仏果に至るまで、一切礙なくみな学することを得る。もし行を学せんと欲せば、かならず有縁の法によれ。少しき功労を用ゐるに多く益を得ればなり。

つまり、学問として学ぼうと思うならば普通の人から聖者にいたるまで障りなく学ぶことを得ることができるけれども、もし実践しようとおもうならば自分にあったものを選ぶがよいといことを味わうことであります。

「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく」という話は理解という点では私たちに対し「易」でありましょう。

しかし、実践という点からすれば「難」であると言えるのでありましょう。

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