先日に引き続き総合研究所発刊の『季刊せいてん NO.116』より「南無(南无)」の読み方について紹介します。
浄土真宗本願寺派では、「南無阿弥陀仏」の「南無」を、「ナム」ではなく「ナモ」と読みます。
しかし、一般的には「ナム」と発音する方が多いように思われます。
なぜ本願寺派では「ナモ」と発音するのでしょうか?その由来を浄土真宗の歴史にたずねていきます。
この問題、少しややこしいのですが、結論から言いますと、「南無」を「ナモ」と読むのは、もとをたどれば、宗祖親鸞聖人の読み方に由来しています。
それではまず親鸞聖人の読み方をうかがっていきましょう。
といっても、実は親鸞聖人は「南無」をすべて「南无」と書かれており、「南無」という表記は聖人の著作には見当たりません。
また著作のみならず、親鸞聖人のお書きになられたお名号にも、すべて「无」の字が用いられています。
親鸞聖人が「南无」とお書きになられたもののうち、振り仮名が付されているものは十七例あります。
このうち「ナモ」が十五例、「ナム」が二例あります。
「ナモ」と読まれた例を少しあげましょう。
親鸞聖人の「南无」の読み方は、聖人以降の本願寺歴代の宗祖にも受け継がれていきます。
歴代宗主の主要な書写聖教や著作をうかがうと、「南无」はすべて「ナモ」と読まれています。
(ちなみに、平安時代末期の漢和辞典『類聚名義抄』の「无」の項に、「南无」の読み方を「ナモ」と示されています。)
親鸞聖人以降の本願寺の伝統を受け、「南無」の読み方を「ナモ」と定めたのは、江戸時代中期の学僧、京都慶証寺の玄智(1734~1794)です。
玄智は、非常に博学な人で、多くの功績を残していますが、その一つに、「唱読音」を定めたことがあげられます。
唱読音とは、本願寺に古くから伝えられてきた聖教(浄土三部経や「正信偈」など)を唱読する際の読み方(音韻)のことです。
玄智は、宮殿であったため時代によって変遷しがちであった唱読音の状況を正し、本願寺派における正統な読み方を定め、いくつかの書物にそれを著しました。
その一つである『大谷浄土三経字音考』では、中国における音韻関係の辞書で最も権威のある『広韻』によって「南無」という場合の「無」の読み方を「モ」と定めています。
さらに真宗の百科事典ともいうべき『考信録』を著し、ここで「無」の音を解説しています。
そこでは「南無」の「無」を「モ」と読むことは本願寺において宗祖親鸞聖人以来の伝統であり、「南無」という場合の「無」は、「ム」の音ではないことが示されています。
では、玄智の頃、「南無」は一般的にはどう発音されていたのでしょうか。
1603年刊の日本語―ポルトガル語辞書『日葡辞書』(ニッポジショ)の「南無」の項には、「Namu ナム(南無)。
仏に対して称名をしたり、拝礼したりするのに使う言葉。例、Namu Amidabut」とあります。
当時一般的には「南無阿弥陀仏」は「ナムアミダブツ」と発音されていたことがわかります。
それは現在と同じような状況といえるでしょう。
玄智に話を戻しましょう。玄智は「南無」の読み方を確定しました。
しかし親鸞聖人が使われている字は「南无」です。
玄智は、親鸞聖人の読み方を踏襲しているといえるのでしょうか?
ここで問題となるのが、「无」と「無」の関係です。
実は、「无」と「無」は、同じ意味を持ち、同じ使い方をされる字なのです。
『大漢和辞典』の「无」の項には、「無に同じ。仏典に南无と書く」とあります。
また、『異体字辞典』(柏書房)の「無」の項には「(古・同)无」と出ています。
「无」は「無」の古字であり、「無」と同じ意味を持つ字である、ということです。
したがって、「无」の代わりに「無」、反対に、「無」の代わりに「无」を用いることができるといえるでしょう。
それは例えば、蓮如上人の六字名号を見ると、楷書で書かれたものは、「南无阿弥陀仏」と「无」が使われ、草書で書かれたものは、「南無阿弥陀仏」と「無」が使われていることからもわかります。
これは両者が区別されていないことの一例です。
以上、親鸞聖人から歴代宗主、そして江戸時代の玄智の「南無」の読み方をうかがってきました。
本願寺派においては、親鸞聖人の読み方にのっとって、「南無」を「ナモ」と読んでいるのです。
参考 内藤知康「<南無阿弥陀仏>の中<無>と<无>の違いは」(本願寺新報1992年7月1日)、篠島善映「南无の読み仮名についての一考察」
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