私の創作寓話です。
ある所に、ハムスターのハム男くんがおりました。
誠に平穏な日々を過ごしています。
ある日の事です。
その平穏なゲージの中に滑車がやってきました。
好奇心と不安を胸に抱くハム男くん。
おそるおそる滑車をこいでいます。
するとなんて楽しい事でしょう。
走れば走る程滑車は回る。
ところが、段々疲れて来ました。
楽しさ半分息苦しいのです。
しかし、ハム男くん。
この滑車の止め方がわかりません。
この苦しみから解放されようと、更に走ります。
しかし、走れば走る程滑車は速くまわります。
しまいには、ハム男くん。
疲れはてて死んでしまいました。
<–ここまで–>
笑うかもしれません。
しかし、この事実を覩見して胸を痛められ涙を流されたのが法蔵菩薩。
この法蔵菩薩が覩見された二百一十億の世界には同じように苦しんでいるものがおりました。
私たち人間です。
欲望という滑車を漕ぎ続けています。
しかし、走れば走る程この滑車は周りつづけ、苦しみの終着点はありません。
諸仏方はこれを覩見して、この者達に告げます。
「その滑車からおりれば苦しみから解放される」と。
ある者は、この欲望という滑車からおりました。
ある者は、周り続ける滑車から自力で下りる事が出来ないので仏さまの手を借ります。
ある者は、この滑車から下りれば苦しみから解放されると知りつつも、滑車を漕ぐのが楽しくてやめれません。
やがて疲れ果て死ぬ命です。
法蔵菩薩は悲しみました。
そして救済に乗り出したのです。
3,4年前でしょうか。築地本願寺の職員時代の創作寓話です。
加賀乙彦著『不幸な国の幸福論』に
と題をだしてこのような文章がありました。
不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)
その文章にヒントを得ての寓話でありました。
ある願望が達成され外的条件が前より良くなれば、それに応じて欲求水準も上がる為、さらに大きな満足を得られる何かが欲しくなります。
(中略)
学者たちが「快楽のトレッドミル」あるいは、「満足度のトレッドミル」と呼ぶ心理メカニズムが発動してしまうのです。
ここでいうトレッドミルとは、ペットのハムスターが籠の中でカラカラ回している踏み車のこと。
いくら走っても前に進まない踏み車を回すリスのように、私達人間も、ともすれば肥大する欲望に引きずられ、
永遠にたどり着かないゴールを目指してひた走ることになりかねません。
<–引用ここまで–>
当時、欲望(煩悩)についておもしろい表現をされるんだなあと感心した覚えがあります。
こういう話を寄せ集めてブログで紹介したいと思ったのもこのくらいの時でありました。
興味ある方はどうぞ。
不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)