仏に約(やく)す.2

昨日に引き続き、約仏について。

山口県俵山の深川倫雄和上が仰るには、親鸞聖人はひたすら約仏でご法義を表してくださった方であるといいます。

たとえば親鸞聖人の主著であります『教行信証』冒頭には総序の御文をあげさせていただきますと

ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無礙の光明は無明の闇を破する恵日なり。

しかればすなはち、浄邦縁熟して、調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。

浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまへり。

これすなはち権化の仁斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲まさしく逆謗闡提を恵まんと欲す。

ゆゑに知んぬ、円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は疑を除き証を獲しむる真理なりと。

しかれば、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。

と、あります。

この後にご自身の慶びを表す御文がありますがそれも僅かであり、この法に遇えて「私はこうなった、こう変わったんだ」ということは述べられておりません。

ただ親鸞聖人のもとに用(はたら)く「如来摂取の法」を仏さまの性質として表しております。

思えば私がいかに感じた・受け取ったということを「私」を主語にせずに表現する方法に日本人は親しみがあります。

古池や蛙飛こむ水のおと (松尾芭蕉)

これは日本人なら誰もが知っている俳句でしょう。

松尾芭蕉は自分の感性というものを「私」を主語にせずに見事に表現します。

浄土真宗のご法話も「私がどうなった、ああなった、こう受け取った」と野暮なことをせずに、俳句のように表現したい・誉めたたえたい対象を主語にしてお話することが大切なのかも知れません。

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