池谷裕二氏の『脳には妙なクセがある』という書籍を読みました。
脳には妙なクセがある (扶桑社新書)
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私たちの脳が合理的かというとそうでもないということが色々な実験の結果とともに紹介されています。

今回は最後通牒ゲームという実験について紹介します。

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当然ながら、ほとんどの場合、人は自分の利益を優先します。

資本社会の基本原理はそうした人間の習性の上に成り立っています。

しかし、ときに私たちは、自分自身の利益を犠牲にしてもモラルや社会的価値を優先することがあります。

純粋な損得勘定ならば、街で窃盗や痴漢を見かけても、見逃して、深入りしないのが得策でしょう。

しかし、人は労力や時間を浪費して、悪を捕らえて懲らしめようとします。

あるいは警察に“わざわざ”通報したりします。

人間という動物は、なぜかこのような自己犠牲的な行動を取るようにプログラムされています。

不思議です。

もちろん、だからこそ社会の秩序が作られ、そして、規制が守られることになるわけですが、しかし、脳の仕組みは一体どうなっているのでしょうか。

自己犠牲の特徴については「最後通牒ゲーム」の実験でよく調べられています。

最後通牒ゲームのルール

あなたに1万円の収入があったとしましょう。

その利益を相方と二人で分け合うのですが、いくらに分割するかという提案権は自分にあります。

一方、相手はその案を受け入れる拒否するかの権利だけを持っています。

たとえば、分割比80%対20%、つまり、自分が8千円を取り、相手には残り2千円を渡すという提示をしたとしましょう。

もし相手が、提案を不公平だと感じ、納得できなければ「拒否」してもよいのです。

ただし、重要なルールがあります。決断のチャンスは一回だけなのです。交渉は許されていません。

もし相手が拒否したら、二人ともに収入が0円になってしまいます。

損得だけを考えたら、つねに拒否しないほうがベターなのですが、ヒトはなぜか拒否します。

「拒否する」ことは、自己の利益を犠牲にすることで、相手に社会的制裁を加えることを意味します。

もちろん「拒否」という行動選択は、善良な社会づくりを目指すなどという美徳ではなく、本人としては単に納得いかないから不満をぶつけているか、あるいはフテくされて自暴自棄になっているだけだとも解釈できます。(以上)

皆さんは最後通牒ゲームにおいてヒトは自分の損得を顧みず拒否することについてどのような思いを持ったでしょうか?

交渉を拒否することによって相手に社会的制裁を保ち善良な社会づくりを目指すというような高尚な心が我々にあるのでしょうか?

確かにそのような一面も全くないとは言いません。

しかし、仏教では私たちは相対的なモノの捉え方しかできないと教えます。

国から100万円貰ったと喜んでいたとしても、周りが1000万円貰っていたと知ったら、途端に喜びは怒りに変わるのでしょう。

最後通牒ゲームにおいて相手の要求を拒否することは、ただ単に不平等が許せないという我欲の現れではないでしょうか。

池谷裕二
1970年 静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。東京大学大学院薬学研究科 教授。
記憶のメカニズム解明の一端として「脳の可塑性の探求」を研究テーマとし、2012年には、これまで未解明だった脳内の神経細胞同士の結合部(シナプス)形成の仕組みを突き止め、米科学誌「サイエンス」に発表。たゆまぬ研究の積み重ね、成果が国内外を問わず人々を魅了し続けている。日本が世界に誇るべき脳研究者。
浄土真宗及び仏教について、他の方もいろいろ記事を書いてくださっています。
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