嫁が1歳に満たない次女の唯に食事をあげながら腹話術のようなことをしています。
嫁「これは栄養があるから食べなさい!」唯「いやだ!唯は栄養があるかなんか関係ないんだ!」
繰り返しいいますが、嫁が唯に食べさせながら一人二役演じているのです。
この腹話術らしきものを聞きながら、まさにその通りだと感心しました。
大人としては「これは栄養があって…」と色々考えますが、子どもから見ればそんなことは関係ありません。
食べたいと思ったモノを食べ、飲みたいと思ったものを飲みます。
浄土真宗というご法義もこのようなものではないでしょうか。
私たちは(あくまでも私は)、一切のものを仏となさしめようと考えて仏になろうとは考えません。
丁度、幼児がバランスよい食事をとって成長するために食事をするわけではないのと同じようなものです。
子どもにあるのは、ただおいしい食事をしたいという願望だけです。
確かにその暁に、立派に成長するということはありえるでしょう。
私たちにある願望と言えば「死んだ後どうなるか」「死にたくない」「死んだ方々はどうなったのか」という思いしかありません。
その趣求(もとめる)ところに合わせてくださるのが浄土真宗のご法義です。
しかしその暁には、子どもが親が子どもの好みを考え用意してくれた食事をとって、その結果成長するように、私たちは私たちの心にかかりやすいイメージしやすい阿弥陀様がご用意くださったお浄土へ参って、その暁には一切衆生を救うという用きを起こすのであるとお聞かせに預かることであります。