以前も紹介した『医療文化と仏教文化』田畑正久著より紹介します。
死亡診断書に関しては、もう少し述べたいことがあります。
それはインターネットの、医師の情報交換の場での書き込みです。
「八十歳を過ぎた人たちが在宅でいろいろな治療を受けて、だんだん弱って亡くなる時に、『老衰』という診断書を書きますか」ということを、ある方が問題提起されました。
そうすると、ある医師が、「私は開業医をしている時は、八十歳以上の方が自宅で亡くなった場合は、ほとんど『老衰』という診断を書いていました。
しかし、十五年くらい前から、大きな病院に移り、周りに同僚の医師がいる中で『老衰』という診断を書いたら、批判されるようになりました」という書き込みをしていました。
他の病気がない証明を示さずに、老衰と書くべきでないという批判をされたということです。
その医師はその後、「不詳」と書くようにしたそうです。
そうしたら、新しい書き込みがあったので、紹介します。
大きな病院で働いている医師によるものでした。
治療してなんとか肺炎は良くなったのですが、寝たきりになってしまいました。長期の入院になって、だんだん弱ってきました。
そして亡くなりました。
こういう時に、肺炎は良くなったが寝たきりになって亡くなったから、思い当たるような死亡原因の病名はない。
それこそ病気がないという証明もしてないから、『不詳』という病名を書きました。そうしたら家族から、『こんな大きな病院に入っていて、入院も長いのに病名がわからん上に、死亡病名が不詳とは何ごとか』と叱られました。
そして、わからんということは、医療ミスか医療過誤じゃないかと、裁判沙汰になりました
と言うのです。
これには、いろんな問題が含まれています。
それは、医師が死亡診断書を書くために、いつの間にか人間が死ぬのは病気が原因となってしまっていることです。(以上)