今回は、千日回峰行にまつわる逸話を紹介します。

酒井雄哉師の逸話

比叡山に入山する前の酒井雄哉師

千日回峰行を満行した行者の中で特に有名なのが酒井雄哉師でしょうか。

千日回峰行を二度満行した方でもあります。

比叡山の僧侶になる前は、中華そばの商売、株屋、菓子のブローカーと転々とされていました。

また生体実験で知られる731部隊の中枢機関である「陸軍軍医学校防疫研究室」でアルバイトをしていたこともあったそうです(勤務している最中は自分が所属している機関のことをよく把握していなかった)。

色々な人生経験を経て比叡山に入山したため、比叡山の住職に進むための「本山交衆」に進む際には既に年齢は46歳と規定の年齢(35歳以下の男子)を大幅に超えていましたが、酒井雄哉師の将来に期待する方々の尽力により年齢制限の項に、「ただし、執行が認める者はそのかぎりではない」と付け加えられた程の方です。


赤山苦行での事件

それほどの人物である酒井雄哉師でも千日回峰行中に死を覚悟したことがあります。

回峰行を5年700日満行すると「堂入り」(詳しくは次回以降の記事で紹介します)に入りますが、その堂入りが終わると「赤山苦行」に入ります(「千日回峰行」全体の行程の中、「赤山苦行」が何年目にあたるかは「千日回峰行の内容一覧」をご覧ください)。

この赤山苦行が始まる1週間前に事件は起こりました。

修行で打たれる滝の水の出具合が悪いので様子を見に行くと、一頭の猪が水源の近くにいたそうです。

手に持っていた杖を酒井さんが放ると猪は山の上の方に上って行ったのですが、猪は何を勘違いしたのかクルッと反転し酒井さんの方へ突っ込んできました。

避ける間もなく、酒井さんは猪と共に滝の水源の溝に落っこちます。

そして、酒井さんは全身を強打しました。

その時は寒く、足の感覚もなかったのですが、酒井さんは後日足に違和感を感じます。

日に日にその違和感は痛みへと変わり、本格的に足が腫れてきました。

「これはまずい」と思った時は、赤山苦行の出峰の目前だったそうです。

最悪のコンディションで毎日五十キロの道のりを歩かねばなりません。

酒井さんの左足の人差指は親指ほどまでに膨れ上がり、親指は2倍以上に腫れ、紫色に変色しています。

千日回峰行は不退の行であり、続けることが出来ない場合は自害するしかありません。

やがて足袋を履くことすら出来なくなりました。

4月27日、酒井さんは途中で一歩も歩けなくなります。

この時ばかりは死を覚悟し、崖の上にある岩から苦しまず死ぬ方法を考えたそうです。

そして、腫れてあがり機能しなくなった足を眺めながら、どうせ死ぬなら自分で治療していようと思い立ちます。

腫れ上がっている親指と人差指に刀を入れると中に溜まっていた血・膿が飛び散ります。

そこで酒井さんは気を失ってしまいました。

30分ほど経ち、目が覚めると足の腫れは引いて再び酒井さんは歩きはじめました。


以上の経緯は、『生き仏になった落ちこぼれ』長尾三郎著に記された内容を要約したものですが、親鸞聖人750回大遠忌の折に浅田正博和上も同じ様なことをご講義の中でお話くださいました。

その中でも『生き仏になった落ちこぼれ』長尾三郎著の内容と明らかに違ったのが、猪と遭遇した場面の描写です。

本の中では修行の滝の水の流れが悪く、原因を探りに行った時に猪と遭遇したとありますが、浅田和上が酒井さんに聞いた話では、行者道に生える雑草を刈りに行った際に猪と遭遇したとのことです。

酒井さんはジャガイモを自ら育て毎食の食事として食べていましたが、そのジャガイモが収穫前になると何ものかによって荒らされるそうです。

猪と遭遇した際に、酒井さんは「コイツが犯人に違いない」と思い、草を刈るために持っていた柄の部分で猪をこらしめようとしたそうです。

そうしますと、猪が突っ込んできて吹き飛ばされたというのです。

浅田和上の講義の中で紹介される酒井さんの姿は非常に人間っぽい行者さんの姿でありました。

そして、腫れあがった足の親指・人差し指を刀で切った後のことも酒井さんは浅田和上にお話されました。

刀で切った傷口を医者に見て貰う分けにもいかないので、酒井さん足を丹念に水で洗い流し、傷口に黴菌が入らないようにポマードを患部につけながら行に励んだというのです。

「なぜ頭に髪の毛がない方がポマードを持っているんだろう」と当時、浅田和上は疑問に思ったそうです。

(追記:2018年11月19日)

講義を改めて聞いて書き漏れがあったことを追記します。

猪に吹き飛ばされたことによって、足の親指に木のささくれが刺さり日に日に足が腫れ上がっていくのですが、夜も寝ることができなほどの寒気が酒井雄哉師さんを襲いました。

石油のストーブを部屋の中に三台置いてこの寒さに対処したと言います。

その反対、腫れ上がった親指は非常に熱を持ったらしく、酒井雄哉師さんは度々足の親指を水に浸けて冷やしたそうです。

酒井さんは、この赤山苦行の中で死を覚悟したとありますが、二千日回峰行の「堂入り」の際も死を覚悟したそうです。

その話は後日ご紹介します。

正井観順師の回峰往生

浅田和上は講義の中で、千日回峰行中に亡くなる事を「回峰往生」と言うのだと仰っていました。

また、回峰行中に往生された方々についてもお話くださいました。

その内の一人は、回峰行中に虫垂炎(盲腸)になったそうです。

先ほど紹介した酒井さんの話のように、この行者の方も「この盲腸さえ治れば」と思ったのでしょう。

千日回峰行中は医者にかかることができません。

自害用の刀でもって自らの盲腸を切り亡くなってしまったそうです。

恐らく傷口から黴菌が入ったことによって亡くなってしまったのでしょう。

また、もう一人、正井観順師とう方が千日回峰行中に亡くなりました。

この方は二千日回峰行を満行し、三千日満行に向けて行に励んでいたのですが、2555日目に無動寺谷の一番険しい道で往生されました。

浅田和上が仰るには、っこの正井観順師が亡くなった場所には、正井地蔵が安置されているとのことです。

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