お説教でよくお話される説話の一つに「無言上人の事」という説話があります。

鎌倉時代中期 、禅宗・密教を兼ねて修められた無住という方によって作られた『沙石集』にこの話は収められています。

今回は、『沙石集』「無言上人事」の冒頭の部分を紹介します。

なお、下記の現代語訳は『沙石集』(日本古典文学大系|岩波書店)の註釈を参考しながら意訳したものです。

なお、現代語訳の後に原文を少し掲載しておきました(「無言上人事」全体は長文ですので、途中まで打ち込みました)。


(一)無言上人の事

ある山寺に徳の高い四人の僧侶がおりまして、言葉で表すことのできない仏さまの悟りである真如の内容を観じ、その真如の内容を説き示すのにお釈迦様のお弟子である維摩詰という人物は沈黙をもって答えたという道理を学ぼうと思い立った。

互いに誓約を結び、道場のお荘厳(お飾り)を整え、世間から離れ、身と口と意を静め、道場に入って四人座を並べて七日の無言の行を始めた。

身の周りの世話をする承仕一人のみが道場を出入りした。

時間が経過し夜も更けた所で、灯明が今にも消えそうになるのを見て、下座に座っていた僧が「承仕の者よ、今にも消えかかりそうな灯心をあげるのだ」と口にした。

それを見た横の僧侶は、「無言道場において、喋ってはいかん」と下座の僧侶を注意した。

その注意した僧侶のもう一つ上席に座る僧侶は、下座に座る二人の僧が口を開いたので不機嫌になり、心を乱してはいけないと言った。

上席に座る老僧は、言っている内容はそれぞれだが、自分以外の者が言葉を発したことに情けなく思い、「物を口にしなかったのは、私だけであった」と言って、頷いてた。賢げにしているのが、殊にばかばかしく感じられた(以上)。


「無言上人事」は この短いエピソードで終わりなのではなく、この後にも無住上人によって仏教の法義の内容が語られます。

内容が気になる方は、下記の原文をご覧ください(ただし、途中までしか打ち込んでいません)。

(一)無言上人事

或山寺ニ四人ノ上人アリテ、真如ノ離言ヲ観ジ、浄名ノ杜口ヲ学ントヤ思ヒケン。

契ヲ結テ道場ヲ荘厳シ、萬縁ヲヤメ、三業ヲ静テ、道場ニ入リ、四人座ヲ並ベ、七日ノ無言ヲ始ム。

承仕一人ゾ出入シケル。

爰ニ更タケ夜深テ、燈ノ消トスルヲ見テ、下座ノ僧、「承仕、火カキアゲヨ」ト云。

竝ノ座ノ僧、「無言道場ニ、物申様候ハズ」ト云。

第三座ノ僧、二人共ニ物云フ〔コト〕餘ニ心地アシクヲボエテ、浅敷モドカシクヲボエテ、「法師バカリゾ、物ハ申サヌ」ト云テ、ウチウナヅキケル。

カシコゲニ〔テ〕、殊ニ嗚呼ガマシクオボユレ。

此事思遂バ、人ゴトニ此風情遁レガタシ。

世間ニ人ノ上ヲ〔イフヲ〕聞バ、其人ハヨシナク人ヲソシリ、又愛シ好ミテ、トガヲ忘レタル事ヲバ、悟ヌコソ。

サレバ書ニ云、「人ヲソシリテハ、己ガ過ヲ思ヒ、人ヲ危メテハ、己ガ落事ヲ思ヘ」ト云ヘリ。楽天ノ云、「人ニ皆一ノ癖有リ。我癖ハ章句ニ在リト」云。

世間ノ事萬縁ヲステゝ、仏道ニ入テ後モ、文章ヲ好ミ愛スル癖ノ、捨テガタキコト云ルナリ。

人ゴトニ、心中ニモ、身ノ業ニモ、愛シ好ミテ捨テガタク、忘レガタキ事アリ。

是ヲ癖ト云。

仏法ノ談ニハ、習因習果ト云テ、先ヲ習因ト云、後ヲ習果ト云テ、無始ヨリシナレタル事、人ノ教ヲ待タレズ、思ワレ、セラルゝヲ、習ト云也。

仏道ニ入ン人、此事ヲ弁テ、流転ノ業タラム習ヲステゝ、解脱ノ門ニ趣クベキ習ヲ好ムベシ。

然ニ人ゴトニ我好ム事ヲバ、失ヲ忘テ愛シ、我ガ受ヌ事ヲバ、失ヲ求テソシル。然バ我コノマン事ニハ失アリテ、人ノソシラン事ヲ省テ、堅執スベカラズ。

我ウケヌ事ニハ、徳ノ有ル事ヲ勘テ、強ニソシルベカラズ。

是達人人ノ意モチナルベシ。

縦ヒ軽重浅深ハアリトモ、物ゴトニ徳失ナラバザル事ナシ。

功徳天、黒闇天時トシテハナレズ。是天然ノ理也。

此謂ハ、江ハ能ク船ヲ渡シ、又舟ヲクツガエス。

君ハ能ク民ヲメグミ、又民ヲ煩ハス。水火等ノ人ヲ益、又人ヲ損ズルコト、ナズラエテ心得ベシ。

仏法ノタエナル、信ズレバ益大ニ、謗ズレバ罪大也。

増テ世間ノ事、何物カ徳失ナラバザラン。然モ失ハヲゝク徳ハ少シ。

仏法ハ、失ハ少ク徳ハ多シ。

世間ノ失ヲゝキコトヲ捨テゝ、仏法ノ謗ズル、猶縁トナリテ、徳大ナル道ニ入ベシ。

然ニ世間ノ事ハ、無始ヨリナレキタリテ、好ミ愛スル人多シ。

仏法ハ始テ逢ルニコソ、愛シ学ブ人マレナリ。悲哉。
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