築地本願寺 報恩講の絵解き布教の第一幅めを拝命し、親鸞聖人のご生涯をお復習さらいするべく、色々な解説書を見比べています。執筆する先生方の専門の分野・関心が違うからなのでしょうか、それぞれに本に特徴があって、読む度に新しい発見があります。

たとえば、『親鸞聖人の生涯』梯實圓著は、当時の公家の日記や『興福寺奏状』の内容を紹介しつつ承元の法難について詳しく説明されています。近年、本願寺出版社から発刊されました『日本史のなかの親鸞聖人 歴史と信仰のはざまで』岡村喜史著は、題名が示す通り時代背景や親鸞聖人の出自である日野家に頁数を割いています。

『本願寺史』は、一つ一つの出来事を簡潔にまとめ全体を網羅しているといった印象を受けます。『親鸞とその教団』山田文昭著は、この書籍で明らかにされている「堂僧」の解釈が今の学界で概ね常識とされているようで、「堂僧」の説明が他の書籍に比べて詳細に述べられています。

その中でも、非常に勉強になったのが歴史文化ライブラリ-37『親鸞』平松令三 著でした。親鸞聖人のご生涯がどの様なものであったのか、明確になりつつありますが、これには歴史家の方々が非常に苦労されています。

碩学の諸先生方がある時は相手を批判し、ある時は自分の非を認めながら、親鸞聖人のご生涯の真実に迫っています。本書では、どの様な論争があったのか、論文や書籍の紹介を含めつつ書き記してくださっているので、非常に参考になりました。親鸞聖人のご生涯は勿論のこと、親鸞聖人のご生涯に関する研究がどの様に発展していったのかを知ることが出来ます。

近代になって合理主義的歴史学が台頭すると、こうした親鸞像(西原註:「越後の七不思議」などの親鸞聖人の奇蹟譚)にまず懐疑の眼が向けられ、二十世紀初頭東京帝国大学の史料編纂所を中心に、親鸞架空人物説がささやかれるようになった。そんな情勢の中で執筆されたのがのちに九州帝大教授となった長沼賢海の「親鸞聖人論」で、『史学雑誌』(第二一編第三号より八回)に連載され、大きな反響を呼んだ。氏は覚如の「伝絵」を史料として認めず、したがってこれまでの親鸞像に大きく疑問符をつけたのである。

さすがに親鸞架空人物説については、正面からこれを支持する学者もなかったし、当時東京帝大助教授であった辻善之助氏が、東西本願寺や高田専修寺の親鸞真跡を調査することによって、これらがまちがいなく鎌倉時代の筆跡であることを確認し、それを『親鸞聖人筆跡之研究』(大正九年、金港堂刊)として公刊したことによって、一応の決着を見た。

しかしその辻氏の推薦文をつけて出版された中沢見明氏の『史上之親鸞』(大正十一年文献書院刊、昭和五十八年法蔵館復刊)は、覚如によって構築された親鸞伝を徹底的に破砕するものだった。彼は本願寺派寺院の一住職で、学歴もないまったくの独学による研究者だったが、確実な史料のみに基づく合理的な歴史学の方法によって親鸞にアプローチしたもので、「親鸞伝絵」は覚如が本願寺を中心とした教団を組織しようとする野心をもって創作したものだ、と断定した。この書は彼が本願寺派寺院の住職であったことも手伝って、学界とくに真宗史学会に大きなショックを与えた(中略)。

…昭和に入って、大谷大学の山田文昭氏が、中沢氏のとり上げた親鸞伝関係史料を精査した結果、中沢氏に誤りのあることを発見し、『真宗史稿』(昭和九年破塵閣書房刊、昭和五十四年法蔵館復刊)においてこれを公表した。その誤りについて中沢氏も認めて、自説の一部を撤回することもあったし、時代も国家主義が次第に色濃くなり、教団に対する反抗的な空気は消し去られていった。

実証主義的歴史学による構築

終戦後、皇国史観から解放された歴史学は、唯物史観を主軸として展開するが、親鸞伝についてその先端を切ったのが戦時中執筆を禁止されていた左翼の思想家服部之総氏で『親鸞ノート』(昭和二十三年国土社刊、のち『服部之総全集』は、親鸞を農民の手にとりもどせ、と主張するもので、多くの人びとに感銘を与え、家永三郎氏が好論文をもってこれに続いたりしたが、『親鸞ノート』の内容には使用史料の処理が杜撰で信頼できないことがわかって、やがて評価を落とすことになった。

やはりきちんとした史料に基づいた研究でなければならない、との要望に答えて登場したのが笠原一男氏の『親鸞と東国農民』(昭和三十二年山川出版社刊)や松野純孝氏の『親鸞/その生涯と思想の展開過程』(昭和三十四年三省堂刊)であった。笠原氏は純粋な歴史学畑の出身であり、松野氏は仏教学を主軸とする思想史畑の出身であり、それぞれの方法論によって開拓した研究成果が披露された好著であって、新しい親鸞像の構築に向けて一歩を踏み出すものであった。中でも松野氏の書は豊富な史料を斬新な切り口で駆使したもので、とくに高い評価が得られた。

ただ親鸞伝全体を展望した書としては、昭和三十六年に刊行された赤松俊秀氏の『親鸞』(吉川弘文館、人物叢書のうち)に指を屈しなければなるまい。氏は真宗大谷派寺院に生を享けた身であるが、京都大学教授として、宗派からまったく離れた客観的立場に立って、純粋に実証主義的歴史学の手法によって論述されている。それまでの親鸞伝には見られなかったところであり、これ以後いまだこれを超える著書は現れていない。その点で名著と評価されても決しておかしくはあるまい。もちろん部分的には修正されるべき個所もいくつかないわけではないし、これが著作されてからすでに三十年が経過していて、その間にもたらされた新知見もある。

私は氏の薫陶を受けた一人として、氏の研究姿勢を受け継ぎつつ、つねに赤松『親鸞』の修正すべき点、補充すべき点を見据えながら親鸞伝の研究をさせてもらってきたので、そこにスポットをあててこの一冊を書きあげてみた。論述は赤松『親鸞』がそうであるように、覚如の「親鸞伝絵」を中心に置いて、それがどれだけ親鸞の実像を伝えているのか、あるいはどれだけ素顔から離れているのか、を検証しつつ進めることとしたい。どれだけ新しい親鸞像が描き出せるか、甚だ心もとないが。

歴史文化ライブラリー37『親鸞』平松令三 著 13-16 頁

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