いつだったか、法話の席でこんな話を聴きました。

法事は一族の安否確認をするためのものではありません。

うろ覚えですが、この話から「法事は自分の事を聞かせていただくため、お慈悲を聞かせていただくためにあるんです」というような話に展開していったと思う。

確かにその通りだあと思いつつも、「家族の安否確認のための法事でもよいのではないか」という思いも湧いてきました。

勿論、法事を営んだ際は、阿弥陀如来のお慈悲の話を伝えることを中心に据えなければなりませんが。

法事でお宅に参って世間話をするのですが、親戚の住んでいる地域が全国各地バラバラということがよくあります。

大人になると、中々遠くからわざわざ親戚の家に遊びにいくのも、行きづらいところがあります。

現に私の母方の親戚は全員関西に住んでおりますが、祖父の葬式以来会っていません。

法事とは「如来さまのお慈悲をお聞かせいただく」と同時に、一旦崩れてしまった共同体、横の関係を保つ力があるのではと思いをはせるところであります。

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