『池上彰の教養のススメ』東京工業大学リベラルアーツセンター篇の中で、「単線の社会」「複線の社会」という言葉を度々目にいたしました。

「単線の社会」とは拠り処となる価値観が一つの社会を言い、「複線の社会」とは拠り処となる価値観が複数ある社会を言います。

簡単に言うと「仕事こそが人生の全て」というような考え方が蔓延した社会は単線社会であり、仕事も大事だが家族も友人も自分の趣味もそれぞれ大事であると受け取る社会は複線社会といえます。

本書の中で、仕事・お金ということを第一として大切にする日本は単線社会であり、一家を経済的に支えていた父親が一たびリストラにでも遭えば父親は居場所を失いかねないと言います。

また、日本とは対照的な国としてスリランカを挙げ、こんなエピソードを紹介なさっています。

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上田 スリランカで研究していたときに研究地からバスに3時間乗って、入管局までビザを取りに行ったことがあるんです。すると平日なのに担当者が休んでビザがとれない。なぜ休んでいるんだと周囲の人間に聞いたら、彼の子供の熱が出たから、という答え。そんなことで休むなよ!と頭にきました。でも、しばらくして日本に帰ってふと考えてみると、日本の親、特に父親は、子供が熱が出たくらいじゃ絶対に休まないだろうな、と。
池上 子供が熱が出たから休みます、なんて言ったら、会社での評価はがた落ちでしょうね。
上田 日本のお父さんはそんなとい、普通通りに仕事をして、その代わり週末にゲームソフトの1本でも買ってやる、という方法をとるでしょう。会社により沿った単線かした道で対処する。でも、スリランカのお父さんは、子どもが熱を出したときに「大丈夫か」と看病してくれる。子どもってそうことを案外覚えている。万が一、このお父さんがリストラされて家にいても、自分が困っていたときに助けてくれたお父さんを邪見には扱わない。今度は自分が助けようという発想になるはずです。
池上 日本では仕事一筋のお父さんは仕事を失った瞬間、会社ではもちろん家でも無価値になる。
上田 家の中でも結局経済力だけがお父さんの価値の指標になっているんです。つまり単線化しているということなんですね。

本書の中で、釣りバカ日誌のハマちゃんの様に会社の評価以外にも釣りということに人生の比重を置く伏線の価値を持つ人間が理想な姿であると言います。

そして、人生の意味をお金や仕事以外で推し量る単線化した社会から脱却する一つの手立てとして、宗教への期待も示されております。

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