前回、「伝道をどの様に定義してしていくかが大切だ」と同輩が発言したことに触発されて、伝道の定義について思う所を書きました。

要は、「お念仏のみ教えを人に伝える」という目標は理念としては素晴らしいけれども、ある程度具体化しないと実際の行動に繋げにくいのではないか、という事です。

その事と関連して、浄土真宗本願寺派の宗会議員である池田行信先生が以前HPで紹介してくださった『非営利組織の経営』ピーター・ドラッカー著の内容について触れたいと思います。

非営利組織の役割

お寺や病院、学校に共通する役割とは、「人の人生を変革することである」と言います。

勿論、一般の企業にも理念というものがあって、その理念に掲示される企業の目標は単なるお金儲けではありません。

例えば、SoftBankは「情報革命で人々を幸せに」という理念を掲げています。

ただし、企業は理念に共感しているというよりは投機的な目的(株価の変動による利益を得ようとする人たち)で株主となっている方など、多数の利害関係者が関わっているため、理念に沿った活動を行えばいいというだけではなく、利益をあげねばなりません。

非営利組織は利益をあげても構いませんが、関係者に利益を分配するということがありませんので、利益を目的にすることに意味がありません。

その様な理由で、「人の人生を変革すること」を主たる目的として活動するのが非営利組織の特徴と言えるのではないでしょうか。

浄土真宗のお寺も主たる活動は人の人生を変革することであると思います。

各お寺のご住職によって方針は違うのでしょうけれども、仏さまの様に周りの人々を慈しみながら生きることをお勧めする方もいらっしゃるでしょう。

また反対に、生き方を直接告げずとも私たちを無条件に救い受けてくださる仏さまのお慈悲を伝えることによって、苦しみの中にありつつも、その苦しみが仏さまに出会うための意味のある苦しみとして受けとっていける人生へと変革していくこともあるのでしょう。

企業は財とサービスを供給する。政府はコントロールする。企業は、顧客が買い、払い、顧客のニーズが満たされたとき役割を果たす。政府は、自らの政策が意図した成果をもたらしたとき役割を果たす。非営利組織は、人を変えたとき役割を果たす。非営利組織が生み出しすものは、治療した患者、学ぶ生徒、自立した成人、すなわち変革された人の人生である。

『非営利組織の経営』ピーター/ドラッカー著 前書きPⅷ

どの様に成果を定義するのか

前回の記事でも触れたように、浄土真宗本願寺派の宗制の前文にある様な理念は大変崇高でありますが、私たちの行動目標として掲げるのはもう一段具体的にする必要があるのでしょう。

下の引用は、『非営利組織の経営』ピーター/ドラッカー著に紹介されている教会の目標の掲げ方です。

教会の場合はいかに戦略を立てたらよいか。ここでも目標を設定しなければならない。何をしようとしているのか。まず、人間についていくつかの仮定を設けなければならない。例えば、教会へ行けば魂を救われる可能性が高まると考えてもよい。60年も教壇に立ってきた者として、私は、授業を受ければ学ぶ可能性は高まるものと考えている。説明はできない。しかし、この種の仮定は必要である。こうして教会も、教会へ来る人間を増やすという目標を設定することができる。それでは、どのような信者を増やすか。聖職者全員が同じ考えであるわけはない。「誰でもよいから教会へ来させる。それが目標である」という者がいる。「いや信仰の堅固な特別の人たちを増やしたい」という者もいる。同じ聖職者であってもミッションとするものは違う。一方は大きな信者層をつくろうとし、一方は少数であっても最後の日のための堅固な信者層をつくろうとする。

『非営利組織の経営』ピーター/ドラッカー著 P68

非営利組織における大義と成果のバランス

非営利組織において成果を追いすぎると、大義から外れ本末転倒になる恐れがあるとドラッカーは言います。

ミッションを具体化するための成果を定義するにあたっては、二つの落とし穴がある。一つは大義だけを唱えることである。大義がすべてであって、支援しないのは支援しないほうが悪いとする。重要なことは、限られた資源を成果の期待できるところへ集中することである。(中略)同じように危険なもう一つの落とし穴が、その逆であって、大義の追求を考えずに成果を求めることである。金を集めやすい人気取り的なことに力を入れることである。大学ならば、ミッションからの逸脱とされるような冠講座を開設することである。

『非営利組織の経営』ピーター/ドラッカー著 P118

一方で、非営利組織の経営は成果中心でなければならないと言います。

「効率を求めることが全てである」というよりも、理念に共感してくださっている方々からの限りある資源を、いかに無駄なく用いるかということが大切であるということでしょう。

「効率を求める」と「資源を無駄なく大切に使う」と、言っている内容は同じでありますが、大分印象が違います。

同時に、われわれは成果中心でなければならない。活動に見合う成果をあげたかを考えなければならない。資源の配分が適切かを考えなければならない。もちろん、ニーズこそが行動の理由である。だがニーズだけでは不足である。成果が必要である。無駄に働いたのではなかったといえなければならない。したがって、あらゆるプログラムとプロジェクトについて、成果をもたらすかを考えなければならない。そしてリーダーの仕事が、その成果をあげさせることである。

『非営利組織の経営』ピーター/ドラッカー著 P52

効率化についてサービス業に見習う

限られた資源をいかに大切に無駄なく使うか(業務を効率化するか)ということについて、宿泊業を営む加賀屋の取り組みが参考になりました(『「最強のサービス」の教科書』講談社現代新書)。

加賀屋は「お客様をおもてなしする」ということがお客様へ提供する価値そのものであり、その他のバックヤードの業務は「お客様へ提供する価値」とはあまり関係ありません。

大袈裟に言うと、月締めの決算をソロバンでやるよりは、使えるならばエクセルを使った方がいいわけです。

ソロバンからエクセルで決算を処理することによって生まれた時間は、「お客様をおもてなしする」時間に使えるわけです。

陣屋という旅館もバックヤードを効率化したことによって、業績がV字回復したとテレビで話題になっていました。

加賀屋のサービスを改めて見ると、機械や情報システム、マニュアルが導入されているのは、おもてなしのサービスそのものではなく、サービス提供現場のバックヤードであることに気付く。つまり、機械やマニュアルをどの部分に導入するかが、大きなポイントなのである。

これまで繰り返し説明してきたが、加賀屋が提供するおもてなしのサービスという商品は、宿泊客を手厚く世話することである。つまり、宿泊客一人ひとりのアレルギーや好き嫌いを考慮して料理の内容を決めること、身丈を見て浴衣のサイズを合わせること、翌日の予定を察しながら朝食の時間を決めることが、おもてなしのサービスとして加賀屋の現場で宿泊客に提供されている。

『「最強のサービス」の教科書』P47

お寺ではどんな無駄が省けるか

普通の人でも気軽にIT(情報・発信技術)が使える時代になり、お寺によっては様々な工夫をしています。

例えば、築地本願寺では「サイボウズ」というグループウェアを導入しています。

色々な機能があるのですが、一番のメリットはスケジュールを従業員で共有することができることでしょうか。

紙のスケジュール帳ですと、紙のスケジュール帳がある所へ自分で足を運び目で見て確認するか、離れた場所から確認する場合は、スケジュール張を直接目で確認できる人に電話で聞かなければなりません。

しかし、サイボウズではネットさえ繋がれば従業員が同じスケジュール張を目にすることができます。

ちなみに、このサイボウズは拙寺でも導入しました。

お寺の場所と墓地が離れており、墓地で法事をしたいとお寺で電話を受けた場合、墓地の礼拝室が使用可能かどうか門信徒の方にわざわざ墓地に電話して確認して貰っていましたが、今では電話を受けながらネット上で墓地のスケジュールを確認し礼拝室が使えるかどうか返答できるので、こちら(お寺)の効率化だけではなく、門信徒の方々の面倒も減っているようです。

浄土真宗及び仏教について、他の方もいろいろ記事を書いてくださっています。 詳細は下記URLをクリック。

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