文化による言葉の違いにより「相互に理解不可能なほどの思考の隔たり」がある、と著作の中で主張するウォーフに対し、今井むつみ氏は著書『ことばと思考』(岩波新書)の中で、ウォーフが主張する様に「相互に理解不可能なほどの思考の隔たり」があるとまでは言えないけれども、と断ったうえで以下の様に述べています(以下、「本書」と略します)。

言語の様々な部分で、世界を切り分けるカテゴリーのつくり方、カテゴリーの境界が異なり、それぞれの言語の話者は、言語がつくり出すカテゴリーの境界によって、知覚や記憶を歪ませ、言語が推論や意志決定など、思考の重要な部分に大きな影響を与えているのだとしたら、やはり、異なる言語の話者の認識は、まったく同じであるとはいえないだろう。(『ことばと思考』今井むつみ著 P206)

では、今回から言語の違いがどの様な認識の違いに繋がっていくのかということをご紹介したいと思います。今回のテーマは色です。

色の基礎名とは

色とは本来「少しずつ変化していく連続的な帯のようなもの」(本書 P18)なのですが、その連続的な変化に区切りを入れて、ここからここまでは「〇〇色」と私たちは色に名前を与えます。

そして本書では「それ以上分割できない、単体で存在することば」を基礎名と定義づけています(つまり、「青緑」や「黄緑」などの複合語や、モノの名前を借りた「空色」などは基礎名とはならない)。

色を客観的に表すツールとして、色彩を色相・明度・彩度という三つの属性によって表すマンセル・カラー・システムというものがありますが、日本語の「赤」という基礎名はマンセル・カラー・システムで客観的に表される一つの色(「マンセル・カラー・システム」では数字とアルファベットによって色を表す)を指すのではなく、ある程度の幅を持っています。

トマトの色、消防車の色、イチゴの色は、全く同じ色ではないけれども、私たちは「赤」という名前で色を言い表します。

英語では「黒・白・灰・赤・黄・緑・青・ピンク・紫・オレンジ・茶」の11の基礎名があると言われており、日本語の基礎名もだいたい英語と重なるようです。

言語による基礎名の数の違い

日本語と英語の基礎名の数は11ですが、この数が人類共通なのかと言うとそうではありません。

アメリカのカリフォルニア大学の研究グループが、世界中の言語の中から119のサンプルを取り出し、それぞれの言語における色の基礎名を調査したのですが、パプアニューギニアのダニ族という部族の言語の基礎名は最も少なく、2つしかありません。

下記が、アメリカのカリフォルニア大学の研究グループが行った基礎名の数に関する調査の結果です。

基礎名の数該当した言語の数
3~420
4~626
6~734
7~814
8~96
9~108
10以上11

言語による境界線の引き方の違い

基礎名の数が同じだからといって、色の帯が全く同じ場所で分割されるわけではありません。

南西アフリカの一言語であるヒンバ(Himba)という言語とパプアニューギニアの言語の一つのベンリモ(Berin-mo)という言語では、ともに色の基礎名は5つでありますが、下の画像の様に二つの言語における5つのカテゴリーの境界線は大きくずれています。

ヒンバ語の色の分け方
ベリンモ語の色の分け方

似たような基礎名を用いる場合でも色の境界線には微妙な違いがある

日本語と英語の基礎名は数も同じ、名前も対応していますが、その言葉が指す色の範囲が一致するとは限りません。この事に関連して本書の中で『日本語と外国語』鈴木孝夫著に書かれている興味深い話を紹介してくださっております。

イギリス人(英語話者)が「オレンジ」と言うとき、いつも、私たち日本人が考える「オレンジ色」あるいは「橙色」と同じ色を指して使うわけではない。例えばorange catというのは、私たちが思うような鮮やかなオレンジ色ではなく、私たちにとってどう見ても明るい薄茶色にしか見えないネコのことを言うのだ。英語話者にとってもニンジンは「オレンジ色」だが、明るい薄茶も「オレンジ色」なのである。(『ことばと思考』今井むつみ著 P23)

鈴木孝夫氏は、『日本語と外国語』の中で、以下のようなエピソードを書いておられる。

鈴木氏は、英語のorangeという色のことばを日本語の「オレンジ色」と思い込んでいた。その結果、レンタカーを借りたとき、orange carが来る、と言われ、ずっと待っていたのにいくら待っても車は来ない。かわりにこちらの様子をうかがっている茶色(と鈴木氏には思われた)の車がホテルの前に停まっていた。それが鈴木氏の待っていた車だったのだ。

鈴木氏が運転手に「『オレンジ色の車』と言われたからオレンジ色の車を探していたのだ」と言ったところ、「これがオレンジ色の車ではないか」と言い返されて、はじめて英語話者の意味するorangeと私たち日本語話者の意味する「オレンジ色」には認識のズレがあるということに気がついた(『ことばと思考』今井むつみ著 P215)。

言語によってどの様な認識の歪みが生じるのか

この記事の冒頭で、色とは「連続的に変化する帯のようなもの」であるという本書の言葉を紹介しました。下の画像は連続的に変化する色の環です(赤枠と黒枠は私が書き入れました)。

マンセル色相環

赤枠で囲った色に隣接二つの色(黒枠)は赤枠から同じ程度の変化をした色です。

ですから、「赤枠で囲った色と似ている色は、赤枠を基準にして右の色か?左の色か?」と質問したならば、答えは半々であってよさそうなものですが、言葉によってカテゴリー化するとモノの認識をカテゴリーの方へ引っ張る、認識を歪ませてしまうことがあると言うのです。

私の認識では、赤枠に隣接する右側の色の方が赤枠の色と似ていると感じます。なぜなら、いずれも私のイメージする「緑」という色のカテゴリーに属するからです(左側の色も「緑」と言えそうですが、私の感覚からすると少し距離を感じます)。

最後に、本書で紹介されているアメリカの文化人類学者のポール・ケイの実験を紹介します。

ロッシュの研究によって、ウォーフ仮説は否定されたかのように思われた。しかしアメリカの文化人類学者のポール・ケイは、ロッシュの結論がいささか単純にすぎることを示した。

第一章で述べたように、青と緑を区別しない言語は非常に多く存在する。ケイは、その中で、メキシコの先住民の言語のひとつであるタラフマラ言語を母語とする人たちと、英語を母語とするアメリカ人が、マンセルのシステムで少しずつ異なる色同士の類似性を、どのように判断するかを調べた。

前に述べたように、マンセルのカラー・システムは、ひとつのチップとその次のチップの物理的な距離が明度・彩度・色相の三つの次元で等距離になるようにつくられている。

そこで、(「緑」と「青」を区別する言語話者にとっての)緑と青の間にある色を基準にして、等距離にある二つのチップを選び、基準とどちらがより似ているのかをアメリカ人とタラフマラ族の人たちに判断してもらったのである。

すると、予想に反して、言語の影響が見られたのは、実は緑と青を区別しないタラフマラ族の人たちではなく、緑と青を別の色として区別するアメリカ人だったのである。

英語でいう「青」と「緑」の境界付近にあるが英語話者がおおむね「緑」とする色を基準のチップとして、英語話者とタラフマラ語話者に見せるとしよう。そこから物理的に等距離にある二つの色を次に見せ、さっきの基準色と近いのはどちらかと尋ねる。

一つの色は英語では「緑」と呼ばれ、もう一つは「青」と呼ばれる。(タラフマラ語では三つの色がすべて同じ名前で呼ばれる。)すると英語話者は、「緑」と呼ぶほうのチップを、基準と挟んで等距離の、しかし「青」と呼ぶチップよりも、基準に、より「似ている」と判断した。

同様に、基準のチップを「青」と判断すると、青側のチップをより「似ている」と判断した。それに対して、緑と青を区別しないタラフマラ語話者は、もともと基準から等距離にある二つのチップを基準と同等に似ていると判断し、二つのチップを同じ割合で選択した(『ことばと思考』今井むつみ著 P65)

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