『2020年6月30日にまたここで会おう』瀧本哲史著に刑法における「行為無価値」「結果無価値」という考え方が紹介されています。世の中の常識は必ず世代交代によって変わって行くということを若者に対して啓蒙するうえでこの話がされていますが、この話自体について興味が湧きましたので、書き記しておきます。

『2020年6月30日にまたここで会おう』瀧本哲史著

「学派」と言えば、ここにいる法学部の方は、かつて刑法の根本の思想をめぐる論争で、同じようなことがあったのは当然ご存知ですよね?

1970年代とかの話ですが、刑法の世界には「行為無価値」と「結果無価値」という学説上の対立がありました。

簡単に言うと行為無価値というのは、罪を犯したときに、何か悪いことをしてやれといった動機があったのであれば刑罰を重くすべきだという考え方で、結果無価値というのは、動機とかはまったく関係なく、悪いことをした結果だけで判断すべきだ、という考え方です。

それで、東大法学部の団藤重光先生という方と、同じく東大の平野龍一先生という方が、それぞれ行為無価値、結果無価値の学説を主張して対立していたんですよ。

ですが残念なことに、団藤先生の一番弟子で、団藤先生が東大を去ったあとに役目を継いだ藤木英雄さんという方が、45歳で早死にしてしまったんですね。その結果、東大に団藤重光・行為無価値と言われる人がいなくなってしまいました。

するとですね、残っている人たちは全員、結果無価値派だったので、それ以降に東大に入って法学を学ぶ人は、みんな結果無価値の法哲学を学習するわけですよ。

そういうわけで、学説的には結果無価値が完全勝利したんです。

日本のすべての犯罪を規定する根幹の価値観が、なんとそんなことで決まってしまったんですね。

もちろんそれだけでなく、理論的に見ても結果無価値のほうが法哲学に混乱を起こす可能性が低く、知識の体系的としても美しいということは言えます。実際、日本画法律の範とした国であるドイツでは、ずっと前から結果無価値のほうが正しいと考えられてきたという経緯もあります。

それにしても、一国の法体系の思想が、人々の世代交代によって変わってしまうことが現実に起こったんですよね。

『2020年6月30日にまたここで会おう』瀧本哲史著 69-71 頁

  • (主流)結果無価値・平野龍一派
    ⇒ 結果を重視する。殺人罪であれば、人を死亡させたという結果が違法の本質ということ(具体例の参考元)。
  • (傍流)行為無価値・団藤重光派
    ⇒ 動機を重視する。殺人罪であれば、人を殺害するという行為が違法の本質ということ(具体例の参考元)。
浄土真宗及び仏教について、他の方もいろいろ記事を書いてくださっています。 詳細は下記URLをクリック。

にほんブログ村 浄土真宗
人気ブログランキングへ

[`evernote` not found]