PODCAST「足立明穂の週刊ITトレンドX」にて長文を要約してくれるサービス(ELYZA DIGEST)が紹介されていたので、早速利用してみました。結果は以下の通りです。

要約前の文章は千葉組のホームページに掲載するために作成した法話なのですが、合法の部分が無視されてしまいました。元の文章に問題があったのでしょうか、それとも現時点でのAIの実力がこの程度なのでしょうか。最近『 AI vs 教科書が読めない子どもたち』という本を読んで知ったのですが、AIは文章を理解しているわけではなく、文章を構成している単語の統計から要約や解答をするそうです。

三行という制限の中で自分で要約してみたものが以下の文章です。三行で要約しようとすると一文一文が長くなってしまいました。

一貫した私というものがあるのではなく、他者との交流や置かれた環境によって一人の人間の中に複数の顔が形づくられることを主張する小説家の平野啓一郎氏は、その一つ一つの顔のことを分人と名づけました。

この言葉の興味深い所は、他者を私と離れた存在として見ていくのではなく、私の顔を形づくる存在として私の内にその存在を見ていく所にあります。

これは仏さまの仰ぎ方と通じる所があって、仏さまとは私と離れた所に物理的にいらっしゃる様な存在ではなく、私をして信心・念仏なるものをと育てあげる用きとして我が身のうえに見ていくことが出来ます。

因みに、要約前の文章は以下の通りです。


私の中に仏さまを仰ぐ

小説家の平野啓一郎さんという方が『私とは何か「個人」から「分人」へ』(講談社)という新書の中で、仏教の考え方と親しみのある「分人」という言葉をご紹介くださっています。

著書である平野啓一郎さんが学生の頃、「自分探し」という言葉が流行したそうです。しかし、「自分の年齢や置かれた環境に影響されず、一貫した自分などあるのだろうか?」と、読者に対して疑問を投げかけています。

思え返すと、ふと顔がほころんでしまうこんな経験を思い出しました。いつも冗談ばかりでお調子者だった友人が、自分の子どもの前では立派な父親の姿で振る舞っているのです。だからと言って、友人は意図的に父親を演じているわけではないでしょう。私自身、振り返って見ると、環境によって自然と振る舞いを変えている自分に気づかされます。
私の中に一貫したものがなければならないという考えは根深いものですが、実際には友人や仕事場の方々や家族との交流を通して、私の中に複数の顔が育てられていて、この一つ一つの顔を著者は「分人」という言葉で表してくださっています。

著者の仰ることは仏教に近しいものがあるのとはじめに書きましたが、仏教には「無我」という言葉があります。この「無我」という言葉は「変わらない私というものはない」という意味ですが、生物学者の福岡伸一氏によると肉体的に見ても半年経てば分子レベルで全てが入れ替わっているといいます。また私たちが持つ役割や肩書きは生まれ持って備えている特徴ではなく、関係性のうえで語られます。

例えば、バスケットボール選手の中に身長169cmの私が放り込まれれば私の背丈は低いと言えます。また、私は子どもを授かってはじめて親となのることができました。この様に「背丈が低い」という言葉には「背丈が高い方々」、「親」という言葉には「子ども」の存在が含まれているのです。

平野啓一郎さんは著書の中で、分人という言葉を用いて世の中の色々な現象を説明しているのですが、「死者との対話」について大変興味深い考察をなさっています。

「あの人がもし生きていたら、今頃こう言っているのではないか?」というような死者との対話について、平野啓一郎さんは元々抵抗感を持っていました。しかし、分人という言葉のひらめきも手伝って、「死者を語る資格のある方」と「死者を語る資格のない方」がいることに気づいていきます。

「死者を語る資格のない方」が語る言葉とは、故人について余り知りもしない方が語る言葉です。反対に「死者を語る資格のある方」が語る言葉とは、その様に語るその方ご自身の言葉であるとともに、その様に語らせた死者の言葉と見ることもできます。

つまり、死者の存在を私の遠くに眺めていくのではなく、死者と対話する私の言葉の中に死者の存在を認めていくのです。

これは仏さまの仰ぎ方にも通じる話です。お寺で育ち、ご本尊としてご安置されている木像の仏さまに手を合わせる方々の後ろ姿に育てられた影響もあって、仏さまとは私と離れた所にいらっしゃるという思いが以前はありましたが、よくよくご法話を伺っていくと、仏さまとは私を育てる用(はたら)きそのものであることに気づかされます。

「死者を語る資格のある方」の言葉そのものに先立っていった方々の存在を認めていく様に、ご本尊に背を向け法話に耳も貸さなかった私が、仏さまに手を合わせる身へと育てられているこの姿の中に仏さまを仰いでいくのが浄土真宗というみ教えであるとお聞かせ頂くことでありました(以上)。

浄土真宗及び仏教について、他の方もいろいろ記事を書いてくださっています。 詳細は下記URLをクリック。

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